anの日記

留学体験記など

「〇〇な人」なんていないんだなぁ。と今更気付いた話。

ブログを半年放置したんですね。あらまぁ。
これからはちょこちょこ留学体験記的なものを書きたいと思っています。
 
とかいって、本投稿は最近の人間への気付き・考察。
ため息交じりの面白くない話です。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最近、「〇〇な人」というのは居ないと感じる。
(例:良識のある人、意地悪な人、など、どんなネガティブ/ポジティブは性質も含む。)
その人がどんな振る舞いをするかは、場面、環境、置かれている立場によって異なる。
一日のうちだって、家か会社かでも変わるし、同じ勤務時間内ですらワーキンググループのメンバーによって自分の「性格」は変わる。
その場その場での変化を、私は自身にも見出したし、最近他者にも見出した。
例えば、私はあるグループワークでは「メンバーを信頼しない人」だったが、他のグループワークでは「メンバーに積極的に協力したい人」だった。
驚いた。これは友人に話していて気付いた。
また他者においては、「良識的」だと思っていた人が、ある時「私の良識」から逸脱した行動をとるのを目にした。
これまた驚いたし、戸惑った。
ただ、私の言う「良識」だって、それは「私の思い描く良識」であって、無論押し付けるべきものでもなければ、いちいち指摘するような事でもない。
ただ私は驚いた。
なるほど「〇〇な人」なんていないんだ、と。思うのはそれだけ。
 
関連して、「私は〇〇な人間だ」というのも曖昧だ。
例えば、"私"は
「人と比較なんてしない。いかに相手が優れていても、私は私。私は十分優秀な人間だもの。だから私は人と比較なんてしない。私には比較なんて無縁のもの。」
と長年信じて生きてきた。
井の中の蛙だったのかもしれない。
あと、今までそれほど「成すべき目標」がなかったから、比較が生じなかったのかもしれない。
今は、優秀な同期達に囲まれて、更に「達成可能性が不透明な成すべき高い目標」を持っていて、それを満足に達成できていない自分がいる。
劣等感というのを初めて感じている。
そもそも、今まで何事もそんなに努力せず達成してきて、「難しそうな目標」を持ってそれを克服した経験がないのかもしれない。
だんだん乱雑になってきたので、ここまで。
とにかく「〇〇な人」なんてもんは無いんだなってことを、今更気付いたって話。